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ユネスコ「世界の記憶」上野三碑とは?

こんにちは!古墳&エビの今井です。

皆さんは、ユネスコ「世界の記憶」って知っていますか?

世界的に重要な記録物への認識を高め、保存やアクセスを促進することを目的とし、ユネスコが1992年に開始した事業の総称のことを言います。本事業を代表するものとして、人類史において特に重要な記録物を国際的に登録する制度が1995年より実施しております。対象となるものが、手書き原稿や書籍、新聞、ポスター、地図、映画・フィルム、写真、デジタル記録等となっており、アンネの日記やベートーベンの自筆楽譜などが登録されております。高崎市内南部地域に所存する飛鳥時代から奈良時代に造立された山上碑・多胡碑・金井沢碑の三つの石碑の総称が上野三碑(こうずけさんぴ)であり2017年に「世界の記憶」に登録されました。今回、山上古墳を巡っている際に上野三碑のことを知りましたので報告させていただきます。


まずは山上(やまのうえ)古墳からの報告です。山上古墳は山上碑の東隣にある直径15mの円墳で、南斜面に山寄せ式で作られています。中心には南に開いた横穴式石室(奥行は7.4m)があり、地元産の凝灰岩を切り組んで仕上げております。こうした切石積石室は古墳としては最末期のもので、飛鳥時代に作られました。群馬県の同種の石室のなかでは最も古い7世紀前半から中頃のもので、新しい技術を獲得した当時の有力豪族が埋葬されたと考えられます。また、古代家族制度を知るうえで重要な事実も知ることができます。


それでは上野三碑についてです。日本国内で現存する平安時代以前の古碑はわずかに18例しかなく、高崎市域における三例の集中は歴史的に極めて特筆されます。それぞれの碑文からは1300年前頃の地方行政制度の在り方、古代豪族の婚姻や氏族のつながり、仏教思想の広がりなど実に多くのことが明らかになり、古代東国史の重要な史料と評価されております。三碑はいずれも国の特別史跡に指定されております。


①山上碑

天武天皇の時代(681年)に造立され、完全な形で残る日本最古の石碑として知られております。高さ111センチの輝石安山岩の自然石に53文字が刻まれております。碑文は、佐野三家を管理した豪族の出身である黒売(くろめ)と、その子である長利(ちょうり)の系譜を述べたもので、隣接した山上古墳に埋葬されたとみられる黒売の追善供養碑の性格をあわせもっています。三家は、六世紀から七世紀前半にかけて各地の軍事・経済的要地に置かれていたヤマト政権の直轄地のことで、佐野三家は高崎市南部の烏川両岸にまたがって設置されていたと推定されます。長利は前橋市総社町の山王廃寺の僧だったと明記されており、山王廃寺はこの頃、東国で最古・最大級の寺院だったことが発掘調査によって判明しております。東国有数の寺院の僧であった長利は相当な知識者だったはずです。その彼が名族の血を引く母と自己を顕彰し、母を追善するために碑文を刻ませたと言われております。当時は嫁いだ女性は実家のお墓に埋葬されることがなかったため、実家のお墓に埋葬された事実は古代家族制度を知るための重要な文献です。











②多胡碑

多胡と言えば、上毛かるたの「む」昔を語る多胡の古碑。群馬県の方は知っている方も多いと思います。奈良時代初めの和銅4年(711年)に上野国の14番目の郡として、多胡郡が建郡されたことを記念して建てられた石碑です。高さ129センチの牛伏砂岩に縦書き6行で80文字が記されております。建郡に際しては、「羊」という渡来人と思われる人物が大きな役割を果たし、初代の郡長官になったようです。碑を建てたのもこの「羊」であると考えられ、碑の後段には当時の政府首脳の名を挙げて権威をはかっています。多胡郡は、当時は先進的な渡来系技術が導入され、窯業、布生産、石材や木材の産出などが盛んな手工業地域になっていました。そのことから、多胡郡建郡は当時の政府による生産拠点のとりまとめ、それに伴う郡の区割りの見直しが目的であったと考えられます。碑身に笠石をのせる形状や楷書体の文字には、当時最先端の中国文化の影響がみられます。18世紀以降に多胡碑の拓本が朝鮮通信使を通して中国に渡り、その書風が評価され、後世の日本の書家にも影響を与えております。











③金井沢碑

金井沢碑は、奈良時代前半の726年に三家氏を名乗る豪族が、先祖の供養と一族の繁栄を祈って建てた石碑です。高さ111センチの輝石安山岩の自然石に112文字が刻まれております。石碑には、三家氏を中心とした9名の名前が記されており、碑文からは、女性が結婚後も実家の氏の名で呼ばれていること、子供達と共に実家の祖先祭祀に参加していることがわかり、家族のつながりに女性が大きな役割を果たしていたと考えられます。碑文に出てくる「群馬」の文字は、県内では最古の事例であり、群馬県の名前のルーツを知る上で非常に重要な資料です。金井沢碑からは、古代東国での仏教の広がり、家族関係、行政制度の実態などを知ることができます。金井沢碑についてはまだ訪れておりませんので画像はありません。


群馬県は歴史的に重要な場所がたくさんあるということが分かります。まだまだ群馬県に生まれ住んでいても知らないことがあると思いますので調査し報告できればと思います。また、上野三碑かるたというものが2019年に作られ、群馬県内の色々な史跡も取り上げられております。こちらを巡る旅もいいのかと思います。











〇各碑の所在地についてはこちら〇

山上碑:高崎市山名町字山神谷2104

多胡碑:高崎市吉井町池字御門1095

金井沢碑:高崎市山名町字金井沢2334


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